哲学の道

哲学の道は琵琶湖疏水の一部です

京都で人気の観光地の一つに、哲学の道(*クリックで外部リンク)があります。京都大学の哲学者西田幾多郎が好んだ散歩道であることから、哲学の道と呼ばれています。哲学の道は琵琶湖疏水の一部です。そして琵琶湖疏水には、あまり知られていないが、壮大な物語があるのです。

琵琶湖疏水は、明治時代の京都における、一大事業でした。都が東京に移り、人口も大きく減少し、京都は著しく衰退しました。その京都を活性化しようと、第三代京都府知事北垣国道は一大事業を起こすことを考えます。それが琵琶湖疏水なのです。

琵琶湖疏水とエネルギーがどう関係するのかって? 大いに関係します。是非続きを読んでください。

琵琶湖疏水の目的

琵琶湖疏水の計画は壮大なものでした。京都へ向けて琵琶湖から運河を掘り、それを京都市民に役立てようというものでした。
琵琶湖から水を京都にひくことは豊臣秀吉も考え、また古くは平清盛も考えたと言われています。ただそのための技術は秀吉の時代にはなく、江戸時代に至るまで実行には移されませんでした。
北垣は京都の活性化のため、この事業に本気で取り組もうと考えます。そして簡潔ながら格調高く起工趣意書を表し、その目的を挙げています。目的は七つありました。最初に置かれた目的は、産業のための動力源、すなわち今の言葉でいえばエネルギーでした。二番目には水運、三番目に田畑の水として灌漑がきます。その他飲料水として上水、防火用水、衛生用水、精米用水車が続きます。
現代に至るまで最も大切なものとしては上水があります。京都の水道水は今でもこの疏水からの水なのです。運輸は疏水完成後長い間、大切な用途になりました。琵琶湖から船で物資を京都まで運ぶことが行われていました。京都蹴上にインクラインというのが残っています。そこに当時使われた三十石船が展示されています。

蹴上インクラインの三十石船

北垣は化石燃料を排除します

七つの目的の最初にあったエネルギーについてはどうだったのでしょうか? 琵琶湖疏水の目的は七つバラバラにあったと考えるべきではなく、一つの壮大な未来ビジョンであったと考えるべきであると思います。京都の衰退を憂慮しながら、琵琶湖の水を使って町全体を近代化する、そのような強い意図が琵琶湖疏水起工趣意書からは読み取れます。そしてそこには、現代の我々にとっても、これからの未来社会建設に向けて、重要なメッセージが残されています。趣意書の中の七項目にそれぞれの目的が書いてありますが、一番長いのは最初のエネルギーに関する項目であり、近代化に必要なエネルギーを北垣が最重要視していたことは明らかです。北垣は水車で動力を得ることを考えます。そしてわざわざこの項目にだけ付言をつけ、その中で北垣は化石燃料を排除しているのです。環境面に配慮し、石炭を排除し、水力でエネルギーを得ることが謳われているのです。当時公害で問題だったロンドンの例を挙げ、京都をそのようにしてはならない、エネルギーは疏水の水力から得ようというものです。北垣はそのために疎水のあちこちに水車を作ることを考えていたようです。水力という自然エネルギーで、京都という地域全体を活性化しようと考えていたわけです。ここはしっかりと理解されなくてはいけません。

琵琶湖疏水は、自然エネルギーを使った産業革命でした

明治期、日本は産業革命を強力に推し進めました。それによって日本社会が大きく変わりました。東京に産業や人口が移動し、そのあおりを受けて、京都が衰退していきました。北垣は京都に独自の産業革命を起こそうと考えたと見ることができます。地元産業のための動力源(エネルギー)を第一の目的に持ってきました。北垣はあくまで水力を考えました。趣意書の第一項目に、京都の可能な水力を細かく分析しています。桂川は京都の主要地から遠いので使えない。鴨川は増水時に極端に増水するから望ましくない。その後に白川が出てきます。白川と哲学の道沿いの疏水道は、面白い関係にあります。この部分は疏水計画の中心をなしていました。そして今なお関係があります。計画では白川の水と合流させ、白川の水流を増し、得られるエネルギーを増加させることなどを考えたようです。これが哲学の道沿いの疏水を決定付けました。
この第一項目にだけ北垣は附言をつけ、石炭の欠点を挙げています。評価した水力と同等のエネルギーを石炭から得る場合の石炭の量を計算し、その値段を挙げ、水力だとその分ただになると経済性を比較します。そして何よりも北垣は環境に配慮します。それだけの石炭を使えば、これだけの塵が京都に降り積もる。京都をロンドンのようにしてはならない、というわけです。
その後他の六項目を並べ、京都を近代化しようと考えます。エネルギーを水力から得、そして社会構造を変えていくという構想はまさに京都という地域の産業革命構想でした。それも地域の自然エネルギーを使った産業革命でした。
琵琶湖疏水起工趣意書を、自然エネルギーを使った地域の産業革命宣言ととらえれば、これからの時代を先取りした、実に先進的な発想であったと読むことができます。
北垣は維新前夜、平野國臣らとともに生野で挙兵し生野の変を主導しますが、これが維新の先駆けともなりました。琵琶湖疏水事業はこれからの未来社会に向けて、各地で起こさなければならない地域自然エネルギーによる地域社会の産業革命を、恐らく世界最初に行った、見事な先駆け事業とみなすことができるのではないでしょうか?

北垣は工事総責任者として田邊朔郎を任命します

北垣に困難な工事の責任者として任命されたのが、工部大学校(後の東大工学部)を卒業したばかりの田邊朔郎でした。まだ21歳の青年技師でした。
琵琶湖疏水の工事は難事業でした。工事が始まっても完成までに長い年月を要しました。何から何まで新しい試みでした。外国人技師に頼らず、日本人で工事を行ったこと、材料のほとんどを国産で賄ったこと、詳しい話は琵琶湖疏水記念館のHPで見ることができます。
そしてエネルギーの観点から、田邊は画期的な計画を遂行します。工事の途中で、水力発電を知り、それを実際にアメリカに視察に行って確かめ、疏水事業の一環として水力発電を取り入れたことです。これによって疏水は、日本初の事業用水力発電用水ともなり、京都蹴上が日本初の事業用水力発電所となりました。琵琶湖疏水の最大目的たるエネルギーは、水車から新しい技術である水力発電に変わったのです。おそらくそれが主たる理由になったのでしょう。疏水の本流は北へと流れる哲学の道方面ではなく、蹴上から岡崎に流れ、平安神宮の南を流れて鴨川方向へと、西へと向かう流れに変わったのです。この流れの脇に北垣国道の像が、疎水の向かい側に立っていますが、対岸から見るのでよく見えません。それも北垣の奥ゆかしさの表れなのでしょうか?

京都蹴上にある田邊朔郎像

疏水の水力で日本最初の路面電車が走りました

疏水の水力発電の効果は絶大でした。京都に電気を供給したのですが、それを使って日本で初めての路面電車が走りました。地域の自然エネルギーである蹴上の水力で、路面電車が走ったのです。今でも蹴上には水力発電所が残っており、関西電力が利用していますが、これはいわば日本の地域自然エネルギー第一号です。そして地域の自然エネルギーで、路面電車を走らせることができるという、大切なメッセージを歴史に残したのです。また疏水は西陣織の工場などにも電力を供給しました。まさに京都を自然エネルギーで支えられる街として、近代の初期に変えていく実証実験でもあったのです。

現代によみがえる琵琶湖疏水の意味

琵琶湖疏水は、石炭(化石燃料)を排し、水力でエネルギーをという、現代に生きる我々にとっても、未来社会を考えるうえで大切な北垣の思想を根底として行われた大事業でした。何よりも路面電車が地域の自然エネルギーで走ることを実証実験で示しているのです。
現代は過度に車に頼った社会です。ですが自動車は自然エネルギーで大量に走らせることはできません。それもエネルギーを少し詳しく調べれば簡単にわかります。自然エネルギーに支えられる社会は、必然的に車社会ではなく、電車を街の交通の中心に据えた社会になります。LRT(現代版路面電車)導入はそのような意味があるのです。
現在の日本では、人口が東京に過度に集中し、人口減少社会を迎える中、多くの地方が衰退の危機にあります。明治初期の京都と同じ危機を、今や日本各地の都市が抱えているのです。
北垣の発想は、日本の多くの地方都市の参考になるでしょう。化石燃料を排し、土地の自然エネルギーで生きる社会を築いていくこと、それが各地に求められていますが、それが可能であることを、北垣と田邊の偉業は、現代に示しているのです。
地域の自然エネルギーで各地にLRTを、これがえねるぎぃっ亭の中心となる主張ですが、この方針が可能であることを、琵琶湖疏水は語っています。
琵琶湖疎水は七つの目的を持って起工されました。観光事業はその中に含まれてはいません。ですが哲学の道や南禅寺の水路閣などを見ると、琵琶湖疏水が京都の伝統に根ざしながらも、新しい観光資源を作り出したことは明白な事実です。
京都を訪れる機会に多くの日本人が、哲学の道だけではなく琵琶湖疏水を広く見て、自然エネルギー未来社会を考え始めてくれたらと願っています。また琵琶湖疏水の意味を強く世界にアピールし、京都が生んだ偉大な社会哲学として、「化石燃料を排し、自然エネルギーで生きる社会を」というメッセージを、未来社会に向けたメッセージとして発信していきたいものだと考えています。それが京都議定書の舞台ともなった京都の、古都として悠久の歴史と文化を基としながら、全世界に末永く続く未来像を提示する、強力な方法であると考えられるのです。

次のページでは、京都市内の疏水風景を紹介しながら、疏水とエネルギーについて、詳しく考えます。

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