ホーム持続社会を妨げるもの感染者が少ない日本

感染者が少ない日本

何故日本で、特に地方で、感染拡大のペースが大きくならなかったのか?(5/14)

現在政治も論壇も、全く新しい事態に遭遇して、混乱を極めています。しかし日本では欧米のような激しいオーバーシュートが起こらなかったのは事実であり、また強制力を伴う都市封鎖ではなく、もっと緩い要請でも急速に感染拡大を、特に地方では止めることが出来たのは事実として受け止めなければなりません。その現象を私は国や地域によって週増加比が違うのだと説明をしました。しかし何故日本で、特に地方で、週増加比が小さいのかは、考える必要があります。

** 週増加比は実効再生産数と関係があります。基本的には1を境にそれ以上だと指数関数的に増加、以下だと指数関数的に減少に転じます**

基本的には私は日本の歴史を通じた社会構造、生活構造の違いから来ると思っています。感染症はヨーロッパ諸国のペストが有名ですが、日本も疫病に何度も襲われました。仮に江戸時代以前、現在の新型コロナウィルスが発生していたら、人々はどのように思うでしょう? 

**以下の話は歴史が好きだけれども、全くの素人の、想像上の仮説と思ってお読み下さい。**

初めは村人が感染し、村人の間に広まっていく。昨日まで元気だった人が、急に軽い風邪のような症状を発症し、気にしないでいると多くの人が直る。だが急に苦しみ始める人が出たと思うと、わずか数日の内に死んでしまう。そのような人が村人に何人か出る。何かにたたられたと思っても不思議ではありません。祈祷師が出てきて必死に祈祷をする。

孤立した村で感染が広がり集団免疫が出来る。そうすると自然に感染は収まる。人々はその祈祷師のおかげで、たたりが落ちたと思うでしょう。

時々は感染が広がり、村人達だけではなく、貴族の間にも感染者は出る。そのようなときは記録に残り、その記録に悪霊にたたられたのではないかと書かれる。疫病の記録は日本各地にあるということです。

特に平安時代、貞観11年の感染(疫病)は全国に広がりました。その疫病を除去するための祈願が祇園祭の起源だそうです。そして祇園祭と同様な祭りが、例えば博多には祇園山笠、小倉には祇園太鼓。単に京の祭りをまねたのではなく、その地域に疫病が広がるのを防ぐという願いはすべての地方が強く持っており、疫病退散祈願が共通の重要課題として、首都たる京にまねた祭りが各地に定着していく。京都が千年も首都であり続けた理由の一つが、生活や経済を決定的に破壊する疫病を退散させる方法を、その時代の動かぬ最先端として持っていたからだと想像したくなります。地震や台風など、自然の被害が多い日本、そのなかでも疫病退散というのが、各地で祭りの起源としてあるというのは、疫病が如何に頻発していたかを、表すものではないでしょうか?

私は日本での疫病の大部分は、その時々の新型ウィルスではなかったか、そう考えています。動物と共生する文化が強かった日本では、動物起源の新型ウィルスは、日本のどこかで頻繁に起きる現象だったのではないでしょうか?

しかし疫病が頻繁であれば、疫病退散祈願の祭りとともに、疫病を広がらせない文化が、自然と生まれてきたのではないでしょうか? 私には子供時代の博多山笠の記憶が今でも鮮明なのですが、山笠では「清め」という言葉が、それこそハッシュタグになっています。祇園山笠は7月1日のお汐井取りで始まり、7月15日の追い山の清道廻りでクライマックスを迎えます。つまり塩を取って清め、お祭りのクライマックスは男衆が櫛田神社の清められた道を祀る。清道廻りは伝統的な博多っ子の、生活のリズムの基本をなしています。

清めるー手を洗う・塩で除菌をするーことが疫病を避ける最大の方法だと言っているようです。それに代表されるさまざまな工夫や習慣あるいは街づくり建築法すべて、言い換えれば文化そのものが、日本での週増加比が小さく、感染拡大が比較的簡単に(大都市以外では)収まった基本的な原因なのではないか、そう考えています。だとすれば感染の世紀21世紀の危機を乗り越えて、未来を拓く日本伝統文化というハッシュタグが、今見え始めているのかも知れません。

何故日本で感染者が少ないというのか、その理由は下の段を見て下さい。

ドイツの1/10、アメリカの1/100(5/12)

善戦が続く日本。5月10日過ぎの段階で、毎日感染者数が確実に減少している実感は、皆さんもお持ちでしょう。このままとりあえずは収束に向かってほしいものです。もちろんそのためには、緊張を緩めてはいけません。

第二波、第三波が来ることは、世界中が恐れています。また21世紀が感染の世紀と言われるのではないかと、このHPでも警告をしています。新型ウィルスの問題は、昔からあった。だけど昔は交通手段が限られていたので、世界同時的なパニックにはならなくて済んだ。SARS、MERS、それから今度のCOVID-19を見ると、ほぼ10年おきに新しいウィルスが発生しています。

○○大地震がほぼ百年おきに襲っていることを想定した対策が練られている日本にとって、地域に限られた大地震以上の脅威を与えるものではないでしょうか? 社会を感染に強い社会に作り替えることが必要であると、皆さん考えて頂けるのではないでしょうか? そして今回の感染者のデータは、感染に強い社会の原型が、日本の地方にあるということを知って頂くと、皆さん今回我慢をしたことも、未来に向けて大きな意味があったと、思って頂けるのではないでしょうか。

現段階で日本の感染者数は一万六千人弱、これはドイツの感染者数(17万人強)の約1/10以下、アメリカの感染者数(132万人強)のほぼ1/100になっています。ドイツの第一波はほぼ収束しましたが、アメリカは収束にはほど遠い現状で、まだまだ感染者は増え続けるでしょう。何がこの差を生んだのか、冷静に考えてみましょう。

PCR検査の数が少ないからという不安を持つ方もおられるでしょう。しかしもしそうだとすればと考える必要があります。

仮に検査が少なく、感染者の1/10しか見つけることができず、感染者の9/10がそのまま生活を続けたと考えて見ましょう。そうするとドイツの感染者数と同じレベルになり、人口も日本とドイツはアバウトに同程度ですから、その意味では尤もらしく見えます。ドイツもフランスも10万人を越えているのだ。日本だってそれくらいいると思うべきだ。そう考える方がいても不思議ではありません。この未知の事態に遭遇すれば。

その場合死亡者の割合は当然増すでしょう。治療を受けなかったのですから。でもどの程度増すか解りませんから、同じ割合と考えて見ます。

日本の死亡者は600人ほどですが、仮に上のように仮定すれば、感染したのに検査を受けず、死亡者した人は五千人を超えることになります。たしかに感染したが検査も受けず死亡した人は、お気の毒ですが首都圏を中心として出ました。しかしその数は五千人規模とはほど遠く、またそのような大量の不審死を見逃すような日本の医療体制ではないはずです。検査数が少ないから感染者数が少ないのだという意見には、私は与しません。日本の感染者数は、例え検査を十分にやっていたとしても、あくまでドイツの1/10、アメリカの1/100であったでしょう。PCR検査は戦略的に行うべきです。間違いなく出口が見え始めた今こそ、徹底的に増やすべきです。ですが今まで少なすぎたと言って、むやみに不安感を煽ってはいけません。

10と5と2.5(5/13)

オーバーシュート。聞き慣れない言葉が、都知事からでたのはつい一ヶ月と少し前の3月末でした。すかさず専門家達がオーバーシュートの懸念を表明しましたが、オーバーシュートとは何のことか、国民にはちっとも解らなかったと思います。しかしそれ以来毎日のように聞いています。そして緊急事態宣言のおかげで、オーバーシュートは免れたと専門家達は言っています。

オーバーシュートの意味をしっかり定義しなければ、免れたのか、それとも実際は起こったのか解りませんし、あるいは起こる可能性が高かったのか、それとも低かったのかも解りません。第二波、第三波が襲う可能性を、すべての専門家が口にしている以上、第二波、第三波でオーバーシュートを抑えるには、どのような方法が最もよいのか、国民全体が知る必要があります。そのためにはオーバーシュートとは何かをしっかり理解する必要があります。

聞き慣れないが今回いやと言うほど聞いた言葉は、ロックアウト、クラスター、オーバーシュートでしょう。このうちロックアウトは都市封鎖つまり欧米諸国が歴史的に繰り返し経験した言葉で、これは欧米で一般に知られていた言葉でしょう。一方クラスターは、例えばブドウの房をクラスターと言いますが、患者がブドウの房のようにまとまって感染することを指す専門用語と思います。ちなみに筆者は原子核物理学でも、クラスターという専門用語があり、それを使うのを当然としてきた経験があります。分野が違うと対象が違うために、全く関係ない言葉になりますが、ブドウの房をイメージする部分は同じです。

一方オーバーシュートは、今回使われ出した言葉というか、欧米であっという間に起きた2週間の間に50人の感染者数が5000人に増えたことを、欧米のニュースサイトが言い始めた言葉と思います。専門用語ではないでしょう。英語としては、ごく通常の言葉であるし(シュートとオーバーの組み合わせ)、きっちり定義された学術用語とはとても思えません。従って専門家もオーバーシュートの意味を聞かれても、最初はきっちりと言えてませんでした。後になって2-3日で倍になる現象みたいなことを言いましたが。これは50人が2週間で5000人になる現象と同じ事を言っています。明らかに欧米並みの感染拡大を専門家達も心配していたことを表します。もちろん誰もこの時点で、日本に何が起きるか解っていませんでした。一方で欧米の驚異的な感染拡大は、専門家なら知っていましたし、国際的なニュースを見ていた人は、皆知っていたでしょう。

感染が急速に広まり、それを政府が気づいて、何らかのブレーキをかけるのに一週間半、ブレーキの効果がはっきり現れるのにやはり一週間半かかるとしましょう。合せて3週間の間、感染は指数関数的に拡大します。このHPで使っている週増加比で考えて見ましょう。週増加比が10だとすれば、つまり一週間で10倍になれば、10の3乗は1000、3週間で1000倍になります。つまり3桁増加です。週増加比が5だとすれば、3週間で125、およそ二桁の増加です。2.5だとすれば、15.625約一桁の増加です。

このHPの他のページで示したように、増大期ではアメリカは10前後、独仏英は5前後、日本は2.5前後でした。つまり感染の指数関数的増加がストップする(感染のピークになる)までに、日本は10倍、独仏英は100倍、アメリカは1000倍に拡大することになります。これは上の段の感染者数の違いを大まかに説明します。

言い換えれば日本は欧米並みの急激な感染拡大はおきにくい社会なのだと言えます。

地方は週増加比はもっと低い(5/13)

このように通常に生活している状態で、週増加比は国によって違うわけです。当然地域によっても違うと考えるべきです。初期は北海道や和歌山などで感染が広まったが、結局大都会である東京、次いで大阪、あるいは首都圏ついで関西というように、大都市圏で感染拡大が猛威を振るいました。一方岩手など感染ゼロの県もありますし、緊急事態宣言後感染拡大が止まって、何日も感染者ゼロの状態が続いている県もあります。このような県は、通常でも週増加比が1以下であったり、少しの規制で週増加比が1以下になったりする地方です。

そうすれば今回の第一波がとりあえず収まったら、住民として(旅行者ではなく)地域に分散する流れを作ることが、第二波、第三波の被害を抑えることになります。今回テレワークなどで仕事が出来る、それもそのほうが能率が上がるとみる組織もあるでしょう。そういう組織は支社を地域に分散させる。地域では通勤は密を避けて自転車で出来ます。通常東京本社とのやりとりはテレワークで済まし、週一度位新幹線で出張すれば良いみたいなことができます。

地域もこれをチャンスに是非そういう流れを誘導する。旅行業界はこの1~2年は、間違いなく不況になります。何よりアメリカが未だ収まる気配がありません。世界中が往来を再開するのは、コロナのワクチンが完成し普及した後でしょう。およそ2年後。その間旅行者が減少しますから、ホテルを長期滞在型に変え、都会からのテレワークグループの受け皿にし、移住を促進する。地域のチャンスです。

2年後には収まるのだから、そんなことは無駄だ、と思う人も多いでしょう。でも今回の自粛をつくづくつらいと思った人も多いでしょう。地方にいれば自粛は東京より楽なはずです。なにより今回の出来事で中央政府の脆弱さが目立ったと同時に、都道府県の首長の目覚ましい活躍も目立ちました。感染から地域の住民の命を守るというのは、住民に密着した首長だからこそできます。第一波で経験を積んだ地域は、もっと自主的に第二波第三波を乗り切るでしょう。そして繰り返しますが、新型ウィルスは10年おき規模で発生すると考えられます。10年後20年後も安定して企業活動を続けたければ、率先して地域に分散することが必要になります。私は京都にいて、毎日自転車で散歩をしています。いくつかの快適な人がいない経路をたどりながら。50年前の京都の静けさを再発見しています。地域を知っているからできることです。そして日本中の地域に、住んでいる人しか知らない、静かな経路があると思います。

80%人との接触を避けなさいと言うメッセージは、Tokyoあるいは首都圏の住民に対するメッセージです。元々密なところでは必要ですが、密でないところでは、無駄なメッセージであり、元々密でない県では、「地元住民は、三密を避けマスクを徹底するなど十分注意しながら、基本的には通常の活動をし、県の経済を回して下さい。そして県外(地域外)との往来は、是非自粛して下さい。」というのが、正しいメッセージと思います。そのバランスは、地域を良く知り抜いている首長の判断であり、第二波ではそれがどのように活かされるか、各県の首長に注目したいと思います。

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