ホーム持続社会を妨げるものコロナウィルス問題

コロナウィルス問題

ダイアモンドプリンセスの対応

去る19日に初めて、ダイアモンドプリンセス号から、ウィルス陰性の乗客が下船を始め、自宅に帰って通常に過ごして良いことになりました。

多くの人が驚いたのではないでしょうか? でも政府ー厚労省の見解は、適切な処置という主張を繰り返しています。専門家が一人(神戸大学の医学教授)、ダイアモンドプリンセスに乗船した結果から、船内の対応をSNSで強く批判して、次の日のすべてのニュースで大きく取り上げられました。しかしその次の日には、その記事は教授自ら削除されました。ニュースを解説した専門家は皆、それぞれの言葉を言われましたが、実際に見てきたわけではないのでインパクトはありません。

ただ乗船して現場を見た専門家は、この人だけではなかったでしょう。その他の人達の意見は、ニュースでは取り上げられなかったように思います。取材に対してノーコメントで逃げたのかも。

政府の見解は硬直した論理であり破綻している

一般の人が考える必要がここにあります。専門家がきちんと情報を発信しないという現状があるのかも知れないのですから。代わりに偽情報が飛び交います。では政府はきちんと情報発信をしているのでしょうか。基本に戻って考えましょう。何故ダイアモンドプリンセスでは、乗客が二週間にわたって隔離されたのか。

私は感染症の専門家ではありませんから、ごく基本的に考えて見ます。するとその答えは簡単だと思います。二週間の完全隔離です。

ダイアモンドプリンセスではウィルスに感染した人があると解った。そこで乗船者に感染している可能性が高いと判断された。そこで乗船者を二週間の間、完全隔離することを決めた。二週間の間入国拒否することによって。

何故二週間と決めたのかと言えば、隔離されてウィルスに感染されない状態を始めて二週間経てば、それ以前に感染した人で発症する人は発症するだろう。それに対しては入院などの措置を執れば良い。一方隔離以前に感染した人で発症しない人が、それ以降発症する確率はかなり低いだろう。そこで隔離二週間後に、発症しなかった人すべてにウィルス検査をし、陰性であったなら、それはもはやウィルスを持っていない人と考えて良いだろう。

以上の論理からの措置であったと、常識的に考えたくなります。そう考えれば、二週間船に留め置いたこともやむを得ないことだと納得が出来ます。ただしここで重要なのは、感染が隔離後に広がらないよう、完全に乗客それぞれを隔離することです。その方法は専門家に任せるしかありません。

あるいは二週間というのは、近年時折問題が出てきたSARS等の新型のウィルスの経過をも考慮に入れた上の事かも知れません。だから諸外国でダイアモンドプリンセス下船後二週間隔離するという方針が出てくるのです。感染を拡大しない最大の方策は、二週間の完全隔離という認識が世界的に共有されていると見て良いでしょう。

二週間の完全隔離の原則ー原則はこのように誰にでも解りやすい簡単な言葉で表すことが出来なければいけません。そうでなくては、質が落ちた国会で、数の力でおかしな論理を使って逃げることは出来ても、諸外国に対して説得することは出来ません。おかしな論理を振り回せば、多くの外国の人の生命がかかっているのですから、日本が今後国際的な評価を急激に落とすことになります。

二週間完全隔離の原則ーこの簡単な原則が妥当であるかは、専門家が判断します。今回の事態を注視すると、世界的に合意された専門家の意見とみて良いような気がします。またニュースで注意深く感染者の情報を見ても、それはほぼ正しいだろうという想像がつきます。例外はあるかも知れないが、感染拡大はこの方針で阻止できるだろうという判断です。このような判断は、注意深く事態を観察すれば、専門家以外の一般人でも可能です。

さて乗客皆が旅を楽しんでいたダイアモンドプリンセスで、ウィルス感染者が出ました。そこで感染者が、他人にウィルスをうつさないように、二週間完全な隔離が求められたのです。ここで他人とは感染していない乗船者も含めます。

つまり完全隔離された2月5日以降は、船の中でもウィルスが拡散しないよう、乗客同士の隔離も行われたのです。19日以降に下船が出来るということは、2月5日以降にウィルスをうつされた人がいないという仮定で成り立つことは容易に解るでしょう。

乗船して船内を視察した専門家の一人は、隔離は完全ではなく、2月5日以降ウィルスをうつされた人がいるに違いない状況だと報告したわけです。もしそうであれば、19日にはたとえ陰性の人であっても、下船許可をすることはあり得ないことになります。隔離を続けなければなりません。一度目の検査では陰性と出たが、二度目以降の検査で陽性と転じた例が、数多く報告されているのですから。政府ー厚労省が、ダイアモンドプリンセスで次々に見つかった陽性の人がウィルスをうつされたのは、2月5日以前であると、2月19日の時点で言い張るのは、この単純な理由からです。

少し考えれば、これっておかしくないということになりませんか? 矛盾していると言っても良いかもしれません。 

ダイアモンドプリンセスでウィルス検査陽性の人は600人を越えています。全乗船客の1/6ほどになります。この感染がすべて2月5日以前に起こったというのです。そんなに急速にウィルスが広まっていたとすれば、恐ろしい伝染力じゃないでしょうか? いつ最初の保菌者からウィルスが出始めたのか解りませんが、わずか数日で、乗客の1/6ほどの人が、隔離前の普通に生活する中で、ウィルスを保有してしまったのですから。 そんな恐ろしい伝染力をもったウィルスを持った人が、ひょっとして下船した人の中にいるかも知れない。その人達が公共交通機関で日本中に散らばって帰っていった。その電車には恐ろしい感染力のウィルスが残る。そして同じ車両に乗り合わせた人だけではなく、その車両は恐らく折り返し運転をしますから、後で乗り込んだ人も感染の恐れがあります。

数百人のダイアモンドプリンセスの陽性の乗客は、すべて2月5日以前にウィルスをうつされたのだと主張するのは、一方で日本中で爆発的な感染が、公共交通機関を通じて広まる可能性があると言いながら、その危険をあえて進めていることを認めるようなものです。ゆったりとした日常生活をしている人達が乗ったダイアモンドプリンセスと、人混みに詰まった日常生活をしている人達が乗った新幹線。感染力は新幹線や満員の通勤電車のほうが、密度が大きいためずっと危ないのではないでしょうか。

いずれにせよ公共交通機関で帰ってもらったニュースを、初めて聞いたときには耳を疑いました。

感染者の異常な多さを考えたとき、2月5日以前に数百人の人達が数日の日常生活でウィルス保有者になったというのは無理があります。しかしその無理を通せば、異常な繁殖力を持つウィルスに感染した可能性もある乗客を、何故普通の生活をして良いと、公共交通機関で帰したのか。一方無理を通さず、隔離が完全でなく、5日以降もウィルスは拡散していたと常識的な判断で認められる見方を責任者が認めると、19日の下船が意味をなさなくなってしまう。政府は19日下船決定の判断理由を、世界に発信すべきなのです。専門家達は無理筋と知っていても、あえてそれを指摘する勇気がないだけなのかも知れません。

政府は二週間の上陸禁止の理由についても、二週間の完全隔離の原則とは違う、国内法の問題であるというかも知れない伏線を、厚労相発言から読み取れます。与野党共に劣化した国会答弁では、詭弁での逃げが通用してきました。ですがオリンピックを控えた日本で、詭弁の逃げの論理を国内外に向けて展開するのは、オリンピック後(それが東京で開催されるにしても、中止や延期または国外開催のいずれにしても)の日本の信用を限りなく落とすことになるだけだと少し思考を巡らせれば解るでしょう。

23人のミス

22日(土)のニュースで、加藤厚労相が謝罪したというニュースがありました。内容はダイアモンドプリンセスから下船した乗客の内、23人について、二月五日以降の検体での検査無しに下船させたというミスを犯したという謝罪です。

何ともわかりにくい謝罪です。しかしこの謝罪の仕方から、厚労省の見解が如何に硬直しているか、如何に諸外国からの評価を決定的に下げるものであるかを、はっきりと見て取ることが出来ます。

諸外国の見解は、二月五日以降に船の内部で感染が拡大しているという見解です。日本でも一般の人もそう感じているでしょう。しかし日本政府見解はそうではなく、二月五日以降には感染が広がっていないという立場なのです。下船を相当急いだのでしょう。下船の条件を下船時点での陰性とすべきところを、検体をそれ以前の物も使ったのですかね。だけど五日以降のものは問題とせず、五日以前のもので済ませたというミスを犯したことを謝罪している訳です。これ自身矛盾した見解であるという結論が、上記の考察から解るでしょう。二週間隔離が成功したとしても、下船直前の検査で陽性か陰性かを判断しなければならないはずです。

上の段で、二週間隔離が成功したという見解がほとんど矛盾していることを示しました。政府は論理のガラパゴス化を行い、その矛盾に気がついてないのです。諸外国はあきれるばかりでしょう。そんな国でこの危機の中でオリンピックなど出来るわけはない、そう考える国が急速に増えていっても仕方ないことと思われます。問題はそんな日本に誰がしたのか。

BS朝日の日曜ニュース番組

週末にはさまざまな番組が有り、コロナウィルス問題が特集されました。やはり感染拡大と、ダイアモンドプリンセス下船問題さらには下船後の発症の問題が大きく取り上げられています。

専門家ではなく、素人のほうが状況をポイントを押さえながら考えるということを実行している気がします。「私は二週間の間隔離して乗客の間の感染を抑えるのだと思ってたのに」みたいな発言も、考える一般人の代表として大切なポイントを押さえていると思います。何故2週間の間留め置いたのか、そしてそれは最初の意図として成功したのか、失敗したのか、しっかり押さえられないといけません。

つい先ほどBS朝日の日曜ニュース番組(19:00-21:00)を見ておりました。ちょうど私の永続的な関心事ー再生可能エネルギーーと現在の関心事ーコロナウィルスーだけに特化した結構密度の濃い番組でした。

再生可能エネルギーについては、いつも気になる間違いを犯していましたが、おおむね良い特集であると思いました。地域で閉じたエネルギー源を再生可能エネルギーで確立する。これは私も常々主張していることです。その中から地域活性化も生まれることも指摘されていました。また再生可能エネルギーは、その地域で考えなくてはならないことも主張されていました。おおむね私の主張と重なっています。

基本的間違いとは何か? 単純です。エネルギー即電気ということで話が進んでいたことです。地域で一番使われているエネルギー源は電気ではなく石油でしょう。電気自動車にすれば良いと考えるのでしょうが、地域で今と同じだけ電気自動車が走れば、多くの地域で地域電力は足りなくなります。でもCO2削減という視点ではなく、自然エネルギーという視点で捉えたのは大きく評価できます。

もう一つ大きく捕えて欲しかったことがあります。コロナウィルス問題も自然エネルギー問題も、どちらも現在の東京一極集中を見直さなければならない問題であることです。

今後の経過がどうなるかわかりませんが、コロナウィルスに一番危険が及びそうなのは、人口密度が高い東京でしょう。混み合う満員電車、林立する高層ビル。エレベータには通常10人以上が乗っています。今上海では感染者は300人を越えた程度ですが、街を歩く人はほとんどなく、エレベータは二人以上乗ってはいけないと決められているそうです。道路上をマスク無しで歩くだけで、警官にねじ伏せられる位ですから。

コロナウィルス問題と自然エネルギー問題。どちらも未来を考えさせる問題で有り、そのどちらもが21世紀の列島改造を要求しているのだと思います。その改造とは、集中した大都会から、豊かな自然を持つ地方への人口流出です。再生可能エネルギーが雇用を生むことも指摘されていました。

情報を共有し事態を皆で考えることだけが、未来に続く道である。

一昔か二昔前、イギリスを発祥として狂牛病が社会的大問題となりました。サイエンスコミュニケーションという運動がそれを契機として広まっていきました。サイエンスコミュニケーションという言葉は、今や日本にも根付いたかに見えます。サイエンスコミュニケーションという言葉は、イギリスから始まり、それに習って日本でも必要性が叫ばれるようになりました。私もこれが必要だと考え、皆を説得して法政大学自然科学センターの方針として取り組むことに決めさせて頂きました。その後しばらくして官民こぞってサイエンスコミュニケーションの旗を立て、毎年11月にお台場でサイエンスアゴラというお祭りをやっています。

イギリスでサイエンスコミュニケーションという考えが主張されるようになったのは、狂牛病を契機としていました。政府の主張に矛盾が明らかに現れていたのです。政府に任せていてはいけない。また専門家に任せていてもダメだ、一般人と専門家(科学者)が直接対話をし、人々が情報を共有し、その上で未来に重要な影響を与える科学の諸問題を考えて行こう。このような発想から始まったのです。でも日本に輸入されると、その趣旨は大きく曲げられてしまうようです。

コロナウィルスのような、恐らくは動物起源のウィルスの感染は今後もあるでしょう。急速に狭くなった地球では、かつてはローカルな問題であったはずのものが、地球全体の物となっており、今後も続くでしょう。その視点にたって、今後にその経験を活かすことは、専門家だけに任せるわけにはいきません。未来を考える為の重要な資料なのです。皆で共有されなければなりません。

原発事故の際も情報共有を専門家はためらった

今回の事態は私に原発事故を思い起こさせます。あのとき私は社会的なエネルギー問題を考え始めたばかりの物理学者でした。物理学者は社会的なエネルギー問題について通常考えません。だけどエネルギーは物理学上の概念ですから、物理学を良く知って考える必要がある。そう考えて社会的なエネルギー問題に取り組み始めたのです。

ところが社会的なエネルギー関連の専門家には、物理学者が一人もいませんでした。日本エネルギー学会と、エネルギー・資源学会の二つの学会に入っていたのですが、そこでエネルギー保存則を基本に考えようとしていた人にはお目にかかれませんでした。

もちろんしっかりした人達がほとんどだったことはお断りしておきます。ただエネルギー保存則を基に考えない結果、化石燃料が高価になっても、何か方法が見つかるという、結局は幻想に過ぎないアイデアに縛られて、基礎的な間違いを犯してしまうのです。

原発事故の折に、もちろん真剣な議論が交わされました。ただ学会の主だった人々の間には、原発維持が根底にありました。そこで一般の人に情報共有を計る発想は出てきませんでした。エネルギー問題は専門家が考える問題だという認識が共有されていたのです。つまりサイエンスコミュニケーションは機能しませんでした。

官民挙げてのサイエンスコミュニケーションはその後のことになります。狂牛病のときに始まったサイエンスコミュニケーションの精神が、日本に根付いているのか、それとも官や大企業の単なる下請けになっているのか、今まさに問われているのです。昨年11月のサイエンスアゴラでは、SDGsが華やかな話題になっていたようですが、サイエンスコミュニケーションやSDGsが日本では骨抜きの薄っぺらなものに変わっていないかどうか、サイエンスコミュニケーションを標榜している人達は、サイエンスコミュニケーションの原点に戻って、コロナウィルス問題での、対応策とその実践の検証について、解りやすい重要ポイントを押さえて、情報を国民全体が共有できるよう、是非頑張ってほしいものです。重要ポイント(原則)は世界中の異なる文化を持つ人々すべてが納得する、簡潔かつ解りやすい言葉で表されなければなりません。
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