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SDGsと自然エネルギー未来社会

SDGsと2020年

現在2020年が始まったばかりです。東京オリンピックの年と、日本中が期待をかけていた年。新しい元号令和でお正月が始まった最初の年。何か良いことがあるに違いないと、皆が期待をかけていた年。

2020年の最初の大きな話題は新型コロナウィルスでした。しばらくこれから目を離せそうもありません。

京都にいても中国からの観光客が見られなくなり、しばらく前の京都の静けさが戻って来たようです。ウィルス感染を避けるため、多くの人は人混みをしばらく敬遠するでしょう。静かな環境で、物事を反省する良い機会かも知れません。

つい二ヶ月ほど前、2019年の年末には、テレビ番組などでSDGsの議論が盛んでした。SDGs(Sustainable Design Goals)、直訳すれば持続的発展の為の目標(複数)となるでしょうか? 学校教育でもSDGsが取り上げられているようです。社会の持続性に向けて、少しずつ世界中が動き出しているのです。

持続社会といえば、これまで日本ではほとんど直ちにCO2排出削減と反応が帰ってきました。SDGsは明らかにそれより一歩も二歩も進んだ取り組みを主張しています。

新型コロナウィルスは、明らかに持続可能社会への流れに反します。仮に毎年のように、このような新型のウィルスの拡散問題が起これば、考えただけでもぞっとします。しかし新型コロナウィルス問題は、(持続的でない)発展が生み出しました。20世紀にはこれだけの大問題にはなり得なかったでしょう。人の移動が今ほど激しくはなかったのですから。グローバル時代の現象と言っていいでしょう。

そう考えると、コロナウィルスは、発展の中に持続性という要素をしっかりと入れていかなければ、恐ろしい未来が待っているという警告をしているとも考えられます。

現在進行形で、コロナウィルス問題を考えながら、このページを書いていきます。何故なら、最も恐ろしい未来は、このままの形で化石燃料依存を続けることであると、千年文化を考える会は主張するからです。産業革命以来、化石燃料をがんがん使って、人類のいわゆる進歩あるいは発展が続いてきました。その限界が見え始めたのが21世紀であると考えるからです。限界の理由は根本的には一つです。化石燃料に頼ると言うことです。そして化石燃料に頼る事によって、限界が起こる具体的な理由が二つあります。

その一つは化石燃料の有限性から来ます。いつまでも化石燃料に頼るという甘えを自然は許してくれないのです。いつまでも親に頼るな人類よと、自然は言っているようです。親はいつかは死ぬのですから。同じようにいつかは化石燃料はなくなります。その後残るのは、悠久の太陽エネルギーの流れだけなのです。安定しないとわがままな子供が拗ねている太陽エネルギー。実は地球に降り注ぐ太陽エネルギーは、わがままな子供である現代人が消費するエネルギーの一万倍もあるのです。

今一つが化石燃料に頼ったむやみな発展が、さまざまな問題を引き起こしているという問題です。異常気象は間違いなく大量のの化石燃料依存が生み出しました。それを皆がしっかりと理解すべきなのですが、誰もが理解したいと思わないようです。CO2削減をしているから何が悪いのだと言い訳をしながら。ですがCO2削減をしたつもりの日本では、CO2削減に成功していないということが、国際的なエネルギー管理機構であるIEAのデータから解ります。

前述したように、今回のコロナウィルス問題も、大量の石油を燃料とする、飛行機をはじめとする、野放しの交通機関の発達が引き起こしました。旅行の楽しみの負の側面を否応なしにつきつけた問題の一つであると思います。持続的な人的・貨物的流動方式を、考えて行かなければならないでしょう。実は飛行機も、自動車も莫大なエネルギーを消費します。自然エネルギー未来社会では、このように野放しの交通利用は、過去の話となるでしょう。


今回の新型コロナウィルスは、明らかに現代社会の産物です。人々の往来が限られていた時代は、世界的なニュースにはなり得なかったでしょう。世界史は新しい時代に入ったことを、コロナウィルスを通して教えてくれているようです。がむしゃらな発展から持続的な発展へ、そして持続社会への発展へ。千年文化を考える会は、現代社会から持続可能社会への発展という新しい形の発展を、過去の歴史と文化をしっかりと踏まえながら、皆様と一緒に考えて行きたいと思います。

IEAがSDG7についてのデータを提供し始めました。

IEAがSDG7についてのデータを公表し始めました。SDG7とはSDGsの7番目、持続的なエネルギーについてのゴールを意味します。発表されているデータは、最終エネルギー消費に対する自然エネルギーのシェアという指標です。わかりやすく言えば、自然エネルギー普及率と呼んでも差し支えないでしょう。今後日本でのエネルギーの議論の基礎データとして、活用されていくことを期待したいと思います。

このデータは誰にでも無料で提供されています。その見方をこれからご説明いたします。まずIEAのデータのページに入ります。次のURLをコピペすれば、IEAのデータのページに入ります。

https://www.iea.org/data-and-statistics

このページを見ていくと、選択できる窓が3つあります。第一の窓はEnergy topic?,第二の窓はIndicator?,第三の窓はcountry or regionとなっています。最初のEnergy topicはtotal energy supplyとなっているでしょう。この第一の窓の選択肢を、右にあるボタンで開けば、下から二番目にSustainable Developement Goalsとあります。これを選びましょう。

そうすれば二番目のindicatorの窓も自動的に変わり、Renewable share (modern renewables) in final energy consumptionになります。すなわちIEAはそのゴール7の達成度を現わす指標として、最終エネルギー消費に於ける再生可能エネルギーの割合という指標が、最適なものであると考えているのです。冷静に少し考えるだけで、常識的な判断であると理解できるでしょう。貴方が身近に使っているエネルギーはどこから来ているのか、どの程度の割合で、太陽からの贈り物になっているのか、ワクワクする問いかけではないですか? これがエネルギーに関して持続社会の道筋の指標になっているのです。CO2削減量みたいな全くぴんとこない指標と大きな違いでしょう。最終エネルギー消費という言葉は、別のページで説明してあります。

さて三番目の窓、country or regionはworldになったままでしょう。そのグラフを見ておきましょう。1990年から2016年までの折れ線グラフで表してあり、再生可能エネルギーの割合は、6.6%から10.2%に徐々に増えてきたという事が解ります。数値は折れ線にカーソルを合わせると出てきます。つまり世界で見ると、この四半世紀で倍近く増加しています。人々の努力の結果です。でもまだ10%ほど。現代では世界は持続社会とはおよそかけ離れた社会であることが解ります。このすぐ下の段に、その画像をjpgファイルとして添付しておきます。

安倍首相や経団連は、そして各官公庁は、SDGsを牽引すると言っています。当然日本でのこの指標は世界平均を上回っていると期待されます。実際はどうなんでしょうか?

日本のエネルギー持続社会順位は73番目(以下)である

三番目の選択窓country or regionにカーソルを合わせ、jまたはjaと打てば、japanの選択肢が出てきますから、それを選びます。期待した結果が出てきたでしょうか。

日本の再生エネルギーの割合は、1990年4.5%に対し、2016年6.6%です。とても低いまま、それでも1.5倍近くになったと言うべきでしょうか。右にその図をコピーして張ってありますから、とりあえずこれを見て下さい。クリックで拡大します。その1.5倍への伸びは、原発事故で多くの人が心配し、どうにもならないよと考える人が多い中で、一生懸命何か活動をした人たちのおかげだということが、年代を追うと解ります。原発事故後特に際立った技術革新があった訳ではないですから。また安倍首相や経団連は、この指標を上げるための牽引役とはほど遠く、むしろ押さえる役割を担ったから、日本では進歩がなく、このような結果になったわけです。日本の指標をこの低さにしたままで、世界を牽引できるとは、出来損ないのブラックジョークとしか言い様がないのではないでしょうか。こんな事を言って日本人をだましていると、日本がダメになるとは考えないのでしょうか?

また原発事故前にはこの指標はほとんど増減はありませんでした。CO2排出削減を声高に叫ぶ人たちは、それ以前から多くいましたが。CO2削減というスローガンは、エネルギーから見た持続社会建設には、残念ながら成果を全く上げなかったとみるべきでしょう。エコを誇る企業はあれほどありながら、エコを語る論者はあれほどいたにもかかわらず。

他の国も同様であるとすれば、日本の現状を嘆いても仕方ないでしょう。でも調べてみると、日本が(あるいは日本、韓国、台湾が)特殊であると解ります。

まず環境先進国と常に紹介されるドイツを見てみましょう。面倒な方のために、右に写真をコピーしてあります。ドイツでは1990年には意外にも2.1%を占めるだけでした。その時点では日本に軍配が上がっていたわけです。これは水力発電の多さから来ます。そのころすでにドイツの先進性が言われていたのですが成果はまだ実際には見えていなかったわけです。しかし2016年には14.2%に伸びています。何と7倍弱です。地域でそれぞれ考えて、地域にあった行動が各地で行われた結果だと考えられます。

ドイツのお隣オーストリアを見てみましょう。オーストリアはもっと早くから、次世代のエネルギーシステムを考え始めていました。私が原子核物理学の研究で博士号をとって、その後世界の同業者と交際を始めた頃、つまり今から40年前に知り合ったオーストリア人は、同じ方面の物理学者でありながら、次のエネルギーを考え始めていました。原発を明らかに否定した結果、単なる原発否定ではやっていけないと、その方面に興味を持ち始めたのです。

彼の力も働いたのかも知れません。オーストリアでは1990年にすでに25%、2016年には34.7%になっています。やはり右にコピーを張ってあります。

今話題の人グレタ・トゥーンベリさんの国スエーデンはどうでしょうか? 34.1%から51.4%の伸びです。スエーデンにも若い頃しばらく滞在しましたが、スエーデン人の議論好きに驚いた記憶があります。政治的諸課題を、研究所の休み時間に全員が集まり、コーヒーを飲みながら議論を交わす光景を見るのが日常でした。皆の日常的議論が社会を動かしているのです。トランプや日本の大人達がグレタさんを嘲笑しましたが、世界はそうは見ていないことが、ニュースを素直に受け取ればわかります。持続社会へと向かう大きな世界の流れを見ながら、化石燃料社会は変わるわけがないと決め込む、現代日本の大人達が、世界から嘲笑され、歴史的にも未来では嘲笑されるでしょう。変わらなければ、化石燃料の有限性から、自滅するしかないのですから。

再生可能エネルギーの占める割合が100%になれば、エネルギーから見て持続社会への移行が完成します。それに伴ってさまざまな変化が起きるでしょう。しかし持続社会建設には、自然エネルギーの占める割合を、大きく増加させる必要があります。そのためには社会も大きく変わらなければなりません。

再生可能エネルギーが100%近くになっている国もあります。アイスランドの78.1%です。これは二位ノルウェイの59.5%を大きく引き離しています。何だ周辺国ばかりじゃないかと思う人が多いでしょう。しかし化石燃料は世界を牽引する国を変えました。イギリスやフランスは、17世紀まで、いやほとんど18世紀の半ばまで、周辺国と見なされていました。日本にそのころ来たのもイギリスではなかったでしょう。イギリスの前に、ポルトガルが最先端を走り、スペインがそれを追いかけ、オランダがそれらを越えて先進性を発揮した時代的変遷があったのです。そしてその背後には超保守的なハプスブルク家を擁する神聖ローマ帝国という、現代のEUのある意味で原型となった(ヨーロッパの)世界中心がありました。でもそのころはヨーロッパは世界の辺境だったのです。17世紀にデカルトなど多くの人たちが近代主義の柱を築き、その二百年ほど後、近代主義が化石燃料を使ってイギリスやアメリカを強くしました。

イギリスやアメリカは、植民地を西欧近代の流れで獲得する行動に出ていました。いやそれは西欧諸国では当然と見なされていた行為です。日本は恐らく唯一それに対抗できた国です。明治維新を通して。明治維新は黒船ショックから始まります。黒船とは、化石燃料を使った遠海航路を可能とした船のことです。化石燃料でなければ、強圧的に植民地にするぞと脅すことは出来ません。ポルトガルの帆船が良い例です。織田信長は、南蛮船と言って、ポルトガル帆船を恐怖の対象としては見ていませんでした。

その化石燃料は有限です。自然エネルギーを使って活動する社会へと、世界中が動き始めていることが、IEAのデータでおわかりいただければ幸いです。そして超保守的なハプスブルクの本拠地オーストリアは、自然エネルギー未来社会を先導しつつあることを、我々は見たばかりです。

私が数えた結果では、自然エネルギーが占める割合が6.6%というのは、世界ランク第73位でした。国の見落としがあるので、実際はもっと低いでしょう。客観的に間違いなく後進国です。しかしこれは日本に於けるエネルギーに関する議論が今まで全く間違ったやり方で行われてきたことに原因があると私ども千年文化を考える会は主張します。このデータで見る悲惨な結果は、日本でマスコミなどを通じて発信される論者の意見と、エネルギーの信頼置ける法則(エネルギー保存則)それに信頼できるエネルギー消費基本データ(IEAのデータ)の比較から、およそ推測できる結果でした。年末になって、日頃心配していた懸念、エネルギー問題で日本は大きく立ち後れているという懸念が、実際のデータから事実として判明したというのが、現在の気持ちです。

新年から、このデータが皆に受け入れられ、エネルギー消費に於ける自然エネルギーの占める割合という指標が、CO2排出量というわかりにくい指標に取って代わり、エネルギーに関する議論が活性化し、日本が真にSDG7を牽引する国へと脱皮することを願ってやみません。自然エネルギーで今より快適な未来社会を、というのが第一の主張である千年文化を考える会は、その方向に関しては一切ぶれることなく、エネルギーを通して未来を考える活動を続けて参ります。自然エネルギーが占める割合が大きくなれば、CO2削減はおまけとしてついてきます。

アメリカと中国に触れないわけには行きません。アメリカも中国も、日本より進んでいます。アメリカは1990年には4.2%でしたが、2016年には9.5%と2倍以上伸び、また世界平均に近づいています。これは主として自動車のバイオ燃料に拠ります。アメリカは広大な農地を持ち、その1/2~1/3ほどをバイオ燃料のための畑とすれば、脱石油時代に対応できます。アメリカは化石燃料の有限性をあまり気にしていません。だからCO2排出の流れに乗らないのでしょう。だがバイオ燃料を増すことで、脱石油時代への準備を始めているとみることが出来ます。しかし日本で同じ事は出来ません。日本が消費するすべての石油製品をバイオ燃料でまかなうためには、日本の全国土を(山も街も含めて)バイオ燃料のために使わなければなりません。つまり人の住む場所も憩う場所もなくさなければいけません。自然エネルギー社会は、己が持つ自然エネルギーの可能性をよく考えて、築いていく必要があるのです。

中国も大きな変動を遂げつつあります。自然エネルギーのシェアは、1990年には1.3%だったのが、2016年には8.4%と大きく伸びています。今や世界一のエネルギー消費国である中国の8.4%はとても大きな量になります。SDG7の国連の報告を見ても、中国と名指しをしていませんが、再生可能エネルギーのシェアが、ここ数年増加しているのは、東アジアの貢献が大きいと書いています。この東アジアが日本を意味しているのではないことは、上に述べたことで明らかでしょう。

中国のさまざまなデータは詳しくは解りません。細部は共産国である中国が、共産党によって秘密にされている側面ももちろんあります。しかし面積が広大な中国の全貌は、完全に把握するのは難しいことは当然です。中国の面積はEUの総面積より大きいのですから。しかしエネルギーデータは隠せません。明らかに中国は変化し進歩しています。多くの日本人は中国が日本より数十年遅れていると信じたがっていますが、大きく動く中国は今やある面では日本を追い越しているのです。このHPで別のところで記述したように、中国の新幹線網は、今や日本の十倍以上あり、列車も時速300kmを当たり前に出しているように、本家本元の日本を追い越しているのです。それも中国共産党指導部が、列車の未来性を至極正しく知っているためだと考えられます。

最終エネルギー消費の分野別を見ると、中国の交通のエネルギーは家庭より少し少なく、日本では交通のエネルギーが家庭でのエネルギーより倍近くにも上ることは、日本の自動車過剰を現していますし、その交通において新幹線のあるいは鉄道の比重を、中国はどんどん増していることは、中国を時々訪れるとよく分ります。持続社会を中国は見据えています。一帯一路も持続社会を考えてのことです。一帯はユーラシア大陸東西を結ぶ鉄道線、一路はヨーロッパからインドを回り、中国にいたる海路。石油が希少価値になったときには、その存在感の大きさは限りないものとなるでしょう。共産主義独裁だから持続社会を見据えることが出来るとは思いたくないものです。

自動車で国の経済が持っているのだからという発想は、家電製品で国の経済が持っているのだからという発想がすでにバブル期の終わりには破綻していたことを考えたら、明らかに終焉を迎えています。技術立国日本は間違いないでしょう。さまざまな分野での日本の技術は、誇るべき物とあらゆる機会に感じることです。でも特定の分野の技術に頼る時代は終わりました。家電製品で日本があるいは政治家達が潤っていた時代はあったでしょう。自動車で日本経済が、あるいは政治家が、かろうじて支えられる時代はあるでしょう。でもそれは10年の規模の歴史でしょう。百年持続するとは考えられません。何故ならエネルギーを通して持続社会を考えるSDG7では、再生可能エネルギーを主として考えているのですから。そして世界規模で、またそれ以上に日本では、再生可能エネルギーで、現在の交通事情を維持することは出来ないと、簡単な基礎物理学から解るのですから。

エネルギーを正しく理解しましょう。SDG7はそのためにとても役に立ちます。CO2削減のために公共交通機関を利用しましょうというフレーズは日本で良く聴くフレーズですが、SDG7の報告書では、自動車・飛行機の代わりに列車をと、正しく言っているのです。

最終エネルギー消費に占める自然エネルギーの割合(世界)

同上(日本)IEAより転写

同上(ドイツ)

同上(オーストリア)

当会の趣旨はSDGsに合致しています

SDGsという言葉は、急速に聞かれるようになりました。国連で言い始められたのですが、2016年から始めて、2030年までの15年間に、持続可能な世界を創成するために、17のテーマで目標を各国で立てましょうというものです。安倍首相も、また経団連も、そして多くの公官庁が、その路線を推進すると表明しています。
17のテーマの内の7番目はエネルギーに関しています。原文で書くと
Goal 7: Ensure access to affordable, reliable, sustainable and modern energy for all
世界中すべての人に信頼できる持続的なそして現代的なエネルギーを手に届く価格で手に入ることを確実にする。直訳するとそのようになります。
国連はすぐれて政治的な場です。信頼できる持続的なそして現代的なエネルギーとは何を意味するか? それは定義されていません。世界には一方で電気さえ得ることが出来ない人が数多くいるのです。その人たちのためには、現代的なエネルギーである、電気を手に入れることが出来るよう援助が明らかに必要です。また炊事には、日本でもつい60年ほど前までは当たり前でした。薪とか練炭とか煙をそこら中まき散らす燃料が使われていました。広い場所で屋外でのバーベキューなら良いでしょう。でも街の人混みの中で、このようなことは、どう考えたって改善されないといけません。SDG7の目的の第一は、その克服にあります。ガスでも電気でもすべての人がaffordable(買うことが出来る)であるmodernなエネルギーを供給することが大切となります。
しかし先進諸国では「信頼できる、持続的な、そして現代的な」エネルギーは、意味が違ってきます。国連のこのフレーズは、その二重性(あるいは多重性)を意識して読み取る必要があります。
先ほど述べた意味では、日本のエネルギー事情はすでに問題は全くありません。ただし現在のところ。何故現在のところというかと言えば、持続的ではないからです。化石燃料は有限であり、従って持続的ではありません。持続的なエネルギーは、国連などでは再生可能エネルギーと言っているエネルギーだけです。そして真に再生可能なエネルギーは、太陽エネルギーか、地熱エネルギーを元とした、自然エネルギーだけなのです。それを正しく認識し、世界に発信できる文化は、東洋伝統文化が西欧文化より適切だと、千年文化を考える会は主張しています。

再生可能エネルギーと自然エネルギーは何が違うのか、ご説明する必要があります。面倒と思う方は読み飛ばして下さい。

違いはごみをどう考えるかにあります。リサイクルという発想から、ごみ利用がエコの象徴みたいに考えられます。でもごみ利用が無限に可能であるわけがありません。古着をごみとして捨てる代わりに再利用する。古着屋がなりたちます。でも日本は古着は当たり前でした。おばあちゃんの着物を裾を直してお母さんが、そして娘さんが。これがrenewableの本来の原型であると日本文化では発信できます。

ごみをrenewable energyと国連機関では定義します。でもそれは低次元のrenewableです。要はごみを燃すことによって、エネルギーを得るというのです。石炭は一度だけ役に立つ。燃されることによって。でもごみは一度何かに利用されたから、二度目に燃されるエネルギーとして役に立つ。石炭が二度目はないように、ごみは三度目はないのです。日本の着物は何世代も受け継がれているというのに。

風も太陽も波も、国際的定義ではrenewable energyです。ごみと同じくくりですが、これらはすべて太陽エネルギー起源のエネルギーです。再生するのではない。太陽がある限り降り注ぐ自然に存在するエネルギーです。自然エネルギーといった方が、日本人にはぴったりくると思いませんか? でも自然エネルギーと再生可能エネルギーは、ごみをどう考えるかだけの違いですから、とりあえず違いを無視しましょう。

持続的なエネルギーとは自然エネルギーである

持続的なエネルギーとは自然エネルギーの事です。IEA(International Energy Agency)などでは、再生可能エネルギーと言っていますが、千年文化を考える会では自然エネルギーという言葉を使っています。と言うのも自然エネルギー(再生可能エネルギー)のほとんどは、その起源を太陽に持つからです。太陽が作り出すさまざまな自然現象に伴うエネルギーという意味で、自然エネルギーという言葉を使っています。その方が日本の伝統的文化からも、そして現代日本人の感覚からも受け入れやすい、つまり日本の千年文化を(これまでもこれからも)考えたとき、自然エネルギーのほうが実感がわくと思うからです。

持続的なエネルギーといえば、例えば水素エネルギーも含まれるし、これからも見つかっていくのじゃないか、というエネルギー保存則から見て全く間違った議論をする人もありました。しかしIEAはそう見てはいないことを、ここで確認しておきたいと思います。

水素は現在は多くは化石燃料を用いて生成されます。つまり化石燃料が一次エネルギーで、一次エネルギーが化石燃料だと、クリーンなエネルギー、あるいは再生可能なエネルギーとは見ることが出来ません。化石燃料は使えば消滅し、エネルギーとして再生できないからです。

大量に水素エネルギーを使うようになるかも知れません。しかしその場合、水素は水を電気分解して得られます。つまり電気エネルギーが水素エネルギーに変わるだけです。そしてその電気エネルギーは、何かのエネルギーから発電されなければなりません。その何かが化石燃料なのか、太陽光などの自然エネルギーなのかで、SDG7でいう持続的なエネルギーかどうかの違いが出てきます。

どのようにすれば自然エネルギーの割合を増やせるか?

それではどのようにすれば自然エネルギーの割合を増やせるのでしょうか?

化石燃料社会で重視されたことを疑ってかかりましょう。西欧近代哲学の父と言われるデカルトは「すべてを疑う」ことから始めました。西欧近代の流れが化石燃料によって最大化し、その限界が見え始めたので、脱化石燃料社会を他ならぬ西洋が開始していることが、自然エネルギーの割合が、西洋諸国で進んでいることから解ります。西欧近代の流れが変わりつつあるのです。あるいは西洋の人たちはデカルトの原点に立ち返っているのかも知れません。

まず疑うべき事は、大都市集中です。大都市集中は急速な経済発展に都合が良かったでしょう。化石燃料は集中できるエネルギーですが、自然エネルギーは集中していません。首都圏の100平方キロメートルにも、北海道や九州の100平方キロメートルにも、太陽はほぼ同じ量のエネルギーを与えてくれます。そしてその地に応じた自然エネルギーへと、元の太陽エネルギーは形を変えます。そのときエネルギー保存則に従って、太陽エネルギーがさまざまなエネルギーに変わっていきます。

自然エネルギーの比率を根本的に上げたいと思ったら、地域活性化は欠かせません。持続社会に向けた日本は、大都市集中をやめ、各地に豊かな中心都市と、それを取り巻く豊かな自然(それはエネルギー供給の場でもあります)からなっているでしょう。そして地方を結ぶのは高速津路ではなく新幹線や在来線の鉄道網。都市を豊かに住みやすくするのも鉄道が欠かせません。西欧諸国でLRTが普及しているのを見るにつけ、西欧諸国が持続社会を真剣に考えているのだということがよく分ります。西欧諸国では、自然エネルギーの割合が増加していることも、かの人々が持続社会を強く意識していることの表れなのです。

千年文化を考える会は、エネルギーを通じて未来社会を考えます。これからも自然エネルギーの割合を増すことについて考え続け、情報を発信し続けます。
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