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環境問題の解決はイノベーションでという幻想

環境問題解決の幻想

環境問題解決は、イノベーションを持って、という幻想が、日本では広く信じられています。

小泉環境大臣も、そのように発言したと伝えられます。もし国際舞台で、そのような発言を繰り返したら、信用をなくすだけでしょう。日本ではイノベーションに過剰な期待がかけられ、日本の科学技術力を過信して現実的にCO2削減が進まず、それを反映して?自然エネルギーの割合は悪いままです。何か敗色濃くなっても、日本には神風が吹くと言って、結局ずるずると負けていったことを思い出させる事態です。その流れが悲劇の特攻を生み出しました。二度とやってはいけないことです。特攻で日本の未来のために散華した英霊達に誓って。大げさと思う人が多いでしょうが、このおかしな状況はそれに匹敵するというのが、私の素直な感覚です。

環境問題解決は、イノベーションで、というのは、日本のエネルギー業界で普通に信じられていることです。だからとても恐ろしいのです。

つい最近関西電力の研究者の講演会に、誘われて行って見ました。彼は話の最後をこう結びました。「CO2削減の真の道は、まだ見つかっていない。イノベーションを期待しよう。さもなくば、我慢しかない。」言葉を正確に記録したわけではないので、少し違っていたかも知れません。

たまたま2019年年末に訪れた友人宅で、論説委員達を集めて2030年にはどのような社会になるかと議論する番組を見ました。エネルギーも担当するある委員の発言は、このようなものでした。「石器時代が終わったのは石がなくなったからではない。同じように石油がなくなるから石油時代が終わるのではなくて、石油がイノベーションで必要なくなって石油時代が終わるのだ。」これもこのままではなかったと思いますが、そのような趣旨でした。集まった論説委員からは、何も反論は出ませんでした。それを見た視聴者からも異論は出なかったと思いますし、このHPを見ている人にも、そうかもしれない、さすが論説委員だと思う人も多いでしょう。

欧米でエネルギーを担当する者が公的にこのような発言をすることは、およそ考えられません。何故なら、欧米では高校で物理教育を皆がきちんと受け、それも型にはまった問題を解く訓練ではなく、もっと重要な物理的思考法を訓練されているからです。オーストリアの私の友人の一人(歴史ある大学の大学教員です)は、ヨーロッパで開かれた高校物理教科書コンテストに仲間と書いた教科書で応募し、賞をもらっているのですが、彼とは物理教育談義もかなり(ビールを飲みながら)たたかわせましたが、日本とは違うなと、強く思った経験があります。

上記番組のこの発言者は、物理的思考法を全く習得していません。高校時代に落第点をとるでしょう。そのような人にエネルギーの論説を任せる放送局など、欧米ではあり得ません。このような人のエネルギー論を、まるで違和感なく放送する放送局があることが、現代日本なのです。そしてエネルギー問題は、未来人類の死活問題であり、昭和10年代の日本の未来についての死活問題に劣らぬ、大切な問題であることは、冷静に考えれば解るでしょう。

石油が必要なくなるとは、どのような事なのでしょうか? 今の車が必要なくなる?

もっと基本的に考えて見ましょう。基本に戻ることは、物理学的思考法の重要な柱です。

人類は火を利用することで、初めて他の動物より優位に立ちました。火を使って暖を取る。つまり寒さをしのぎ、調理をすることで、食の安全を確保する。これは未来永劫不変な、持続社会生活の軸でしょう。そして人類のエネルギー消費の原点です。

石油は今日本では一番手軽で、また安価な燃料です。したがって寒い地方では灯油が必須となります。イノベーションを待って、灯油より安価な燃料が出回るでしょうか? これを考えて見ましょう。 

物理学で一番大切な法則「エネルギー保存則」からは、イノベーションで新しいエネルギーはできないことを理解できます。基礎的な物理学思考では、この結論は当然なのです。エネルギー保存則は、エネルギーがあるところからしか、エネルギーが出てくることはないことを意味します。ではエネルギーはどこにあるのでしょうか? それが他ならぬエネルギー源ですが、エネルギー源には資源と自然しかありません。そして資源としてのエネルギーは、化石燃料と核しかないのです。資源以外では自然エネルギーしかありません。この意味をこのような論者はしっかりと考えてほしいものです。皆さんも是非考えて見て下さい。

寒い国ほどエネルギー消費が大きい。そして自然エネルギー普及率も高い。

面白いことに、このサブページの親になるページで示した国、アイスランド、オーストリア、スエーデン、ノルウェイ、それにドイツは、どの国も日本より平均的に寒い国です。つまり一人あたりの必要エネルギーは、日本より高く、消費が多い国となっています。そして自然エネルギー普及が進んでいます。

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どのような自然エネルギーが普及しているかは、やはりIEAのデータから知ることが出来ます。共通しているのは、バイオマス利用が非常に大きいのです。

小泉環境相の父親小泉元首相は、近年では反原発論者として知られています。彼は政治家として、エネルギーについて考えた、史上数少ない人でしょう。首相時代「バイオマスにっぽん」というスローガンで、バイオマスにてこ入れした人物でもあるのです。

そのてこ入れもあってでしょう。日本エネルギー学会の「バイオマス部会」という部会が活発に定例会を開き、私もほぼ毎回出席させてもらって議論の経緯を一時期見守っていました。バイオマス部会の影響もあってか、日本の低迷を続けた自然エネルギー普及率を良く見ると、20世紀末までは微減傾向であるのに対し、21世紀に入って微増傾向に移りました。勘が良い小泉さんは、バイオマスがイノベーションの突破口になる、と正しく判断しました。しかしエネルギーは専門家に任せれば良いという、大変まずい判断を、多くの日本人と共有したままでした。

高い森林率を誇る日本は、高いバイオマスの可能性を有します。しかし日本エネルギー学会バイオマス部会の議論では、「肝心の林業が衰退しているから木質バイオマスの利用は進まない」という論調が多く、バイオマスの科学面からの専門家として、枝葉末節の議論に重みが移っていったように感じました。これは官産学協同という今の方針が充分活かされていなかったことを意味します。小泉さんには政治的指導力を発揮して、林業にてこ入れし、地域を活性化する非常に大きなチャンスだったのに。またバイオマス学会にとっては、官産学協同の理念を使って、学会の威力を示す最大のチャンスだったのに。ちなみに官産学協同は、フランス革命期以来の、近代ヨーロッパで中心となる、当たり前の考え方であることは、西洋史を科学史とつきあわせれば解ることです。一方で科学の政治からの独立が必要なのは、独立した個人あるいは団体が、当然独自の論理で行動しながら、それぞれの力を発揮することで、大きな政治的目標に進むことが出来るという、近代主義の背景となる思想がありました。

小泉環境大臣が、父の始めたバイオマスにっぽんを、CO2削減の大きな突破口として継いでくれたら。

いずれにせよ暖をとるためのエネルギーは不可欠で、持続可能なエネルギーとしては、バイオマスが最も適しています。それを北欧の国々は知っていて、地域で地元の森林などをうまく活用しているのです。灯油と競合できるような安い価格で手に入れることが出来るよう、社会がそして政治が努力した結果です。イノベーションに単に期待することなく、地域の自然をよく考え、地域社会を持続可能な社会に向けて変えていく、そのような着実な努力が必要なのです。未来を切り開くイノベーションみたいな、まるで神の国が負けるわけはない、というような、明らかに間違った幻想を振りまくことは、決して許されることではありません、地域の自然をしっかり考え、地域の自然と歴史を活かした持続社会を皆で考えて行く、そのような作業が必要なのです。その中でイノベーションも生まれるでしょう。

脱自動車社会

容易に想像できるように、また容易にIEAのデータで確かめられるように、石油は人が暖を取るためよりも、自動車が自由に動き回るために、比較にならぬほど大量に消費されます。石油が必要でなくなるためには、交通手段の「イノベーション」が必要です。それは自動車のイノベーションでは起こりえません。これも基礎的な物理的思考力があれば解ることで、自動車のイノベーションが石油を不必要にするなどと、海外の大切な場で大きな声で言ったとすれば、エネルギーに対する理解が全くない子供と見なされ、相手にされないだけでしょう。漫画の読み過ぎの子供? 電気自動車が普及してないことから、想像してみて下さい。石油ほど自動車にあったエネルギーはないのです。現在自動車で使われているエネルギーはほとんどが石油であり、次にやはりバイオマス(液化したバイオ燃料)、電気はほとんど自動車に貢献してないのです。つまり自動車を動かすには、液体燃料がほとんど唯一の選択肢で、バイオマスがそれだけ大量に毎年収穫できるかが、このまま大量の自動車社会を持続的に維持できるかどうか、ということになるのですが、日本ではそれは不可能であり、脱自動車社会を考えなければならないわけです。その切り札は鉄道であることは、物理学の基礎的な理解を元にすればすぐ解ることであり、むやみやたらにイノベーションを期待して、今の社会をそのままにしておける幻想を振りまくのは、「無知による無策」としか言いようがないことなのです。今の社会をそのままにしておける幻想を振りまくのは、今の社会のおかげを過剰に被っている人たちであることは、冷静に考えれば解るでしょう。一般の人たちの基本的思考力と、それに基づいた民主主義が、今ほど問われている時代はないとつくづく考えてしまいます。

事実SDG7の報告書には、飛行機や自動車の代わりに、鉄道を、という言葉が明確に書かれています。そしてヨーロッパ諸国では、電車を交通の主として、自動車過剰な街より快適な街づくりが、着々と進行中なのです。

政治は現実と哲学の対立から生まれる

暖をとる必要は寒い国ほど高いのは当然です。寒い国ではそれは死活問題であることはカナダを見れば解ります。カナダのトロントで実際に見たことですが、トロントでは地下街が発達しています。冬になると、人は暖房が効いた地下街を歩きます。そしてホームレスの人達のために、地下街への入り口を、夜施錠して入れなくすることは、法律によって禁じられています。施錠すれば間違いなくホームレスの人達の死を意味しますから。エネルギー問題を議論する人達には、この重さを理解してほしいものです。このようにエネルギーが死活問題であるからこそ、カナダは一貫してCO2削減には消極的ですが、それでも自然エネルギーの割合は20%以上を保っています。

そのカナダの20%台を含めて、欧米諸国での寒い国の自然エネルギー普及率が高いことは、驚くべきことではないでしょうか? エネルギーを基本的な生活の死活問題と、すべての人が知っているから、持続的なエネルギーを考えて(CO2削減ではなく、何故ならカナダはCO2削減にはアメリカ同様消極的です)、自然エネルギーを普及させているのです。

CO2削減は国際政治の高度のスローガンと考えるべきです。政治は哲学と現実の衝突の舞台です。哲学無しでは政治はできない。現実を知ることなくては、政治はできない。現代日本では残念ながら哲学がない政治が横行しているようです。現実しか見ない風潮が強まっています。

しかし政治の皮肉は、「哲学」を無視して「現実」しか見ない政治に甘んずれば、その「現実」を根本から見誤るという現象が現れることでしょう。現代日本の支配層は皆「現実」を見て、自然エネルギー普及は「現実的」ではない、イノベーションを待てと言っていますが、エネルギー問題解決に、彼らが考えるイノベーションは、科学的に見て「現実的に」あり得ないのです。

ついでに言えば、科学は哲学の一分野であることが近代の基礎でした。ニュートンのプリンキピアは、プリンキピア・マセマティカ・・という表題の頭だけを取ったものですが、その表題を訳せば「自然哲学の数学的原理」となります。プリンキピアはプリンシプルすなわち原理ということです。西欧人にはこれを源流とする物理学は、当然の基礎でした。「現実」を改革するための「哲学」として。それを明治の人は知っていました。物理学を「窮理学」と訳し、それを「実学」の基礎と考えた福沢諭吉がその代表です。

時代を経て、現代日本では、中国起源の「虚実」の概念を薄っぺらに使って、虚学と実学に分けているようです。あたかも工学と経済学が実学で、理学と文学が虚学とでも言うように。事実福沢諭吉が実学の基礎とした物理学を含む「理学」と、文系では「文学」を虚学に、一方の実学として「工学」と「経済学」を、対比することを平然と大学改革を議論する場で、私が勤務していた法政大学の大学改革議論の場で、論じた経営学部学部長がいました。いい人でしたが、私は反論せずにはおれず、また反論は通用しませんでした。何故なら私は教養教育が大切だという立場でその委員会に出席していましたが、文科省の方針で教養教育の比重を少なくするという背景の中で行われた委員会の中での議論でしたから。

それでも文科省の方針にそのまま従うのではなく、議論をたたかわせることを、重視した法政大学は、大学たる面目を今でも保っている大学であると、私自身は思っています。
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